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死人に口無し | ||
しかし、表向きは地元名士といって何ら差し障りのない安田稔だが、この男を知る周辺の見方は、全くといって違う。追及を続ける当紙にしても、まさかこれ程の悪党だったとは……との思いだ。 懲役に服す程の悪質脱税を犯した安田稔が、当時の側近だった吉羽宏四郎に罪の大半を被せる見返りとして振出したとされる、額面2億円の約束手形(当紙69号)の存在が、そもそも事の発端だった。 丁度その頃、吉羽宏四郎は1年余り行方を晦ませていたが、安田稔が保釈された直後に自ら捜査当局に出頭している。 しかし、不思議なことに出頭した吉羽の身柄は、その後1年間も拘留される事になったのだ。脱税の主犯とも言うべき安田稔は、多額の保釈金を積んだとはいえ短期間で開放されたにも拘わらず、何故、吉羽の拘留はこうまで長期化したのか? これら当時の状況を整理すれば、検察捜査の手が及ぶのを察知した安田稔は、真相を知る吉羽を逃がすことで時間稼ぎをし、自らの逮捕取り調べで状況判断をした上で、吉羽を逃亡先から呼び戻し“言い含めた”後に出頭させたとみて間違いなかろう。 安田稔にとって、吉羽は単なる使い捨ての部下でしかなかったのか?又、吉羽は大金に目が眩んで罪を引き受けただけなのか? 当然といっては其れまでだが、吉羽を巻き込み犠牲にしたにも関らず、安田稔の懲役は確定した。だからといって、吉羽と交わした約束までもが消滅するものではない。 |
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死してムチ打つ | ||
仮に吉羽が死なずに現在も生存していれば、間違いなく2億円は支払われていただろう。脱税の全容を知る吉羽との約束を一方的に反故にすれば、逆襲の目にあう可能性だってあった筈だ。 だが、吉羽からの請求に対して「今はまだ目立つから駄目だ」とか、のらりくらりとかわしていたそうだが、若しかすると安田稔は吉羽の死期を既に見切っていたのかも知れない。 吉羽の死後、遺族が約束手形を安田稔に提示した際には「そんな手形は知らない、無効だ」と有無を言わさず追い返し、当紙の取材に対しては前号で報じた通り、暴力団や同和団体を差し向けて押さえ付けようとした。 だが、問題となる行動はこればかりではない。取材を進めていくなか、安田稔は無登録の貸し金業、所謂『闇金融』を始めていたことが発覚したのだ。 栃木市周辺の裏事情に詳しい人物の話では、安田は「紹介者を飛び越えて話をする」とか「当初の約束を守らない」また「恩義を感じない」等々、その筋からもすこぶる評判が悪く、真っ当な人間なら付き合わないとの話だった。 言われてみれば、取材当初にしゃしゃり出てきた安田稔のムショ仲間で“自称暴力団関係者”を名乗った男も「俺は関係ない。安田はケチで話にならない」と意味不明の言葉を残し姿を消した。 この男と共に当紙へ接触してきた同和団体会長の老人に至っては「自分は頼まれて同席しただけで、何も知らない。これ以上連絡をとってきたら警察へ電話する」と、数日後“半ベソ”をかきながら連絡をよこしたが、これではまるでストーカー扱いである。 脱税の前科者であれ、闇金融を経営していても尚、県の仕事を与え続ける栃木県知事=福田昭夫先生がいる限り、安田稔の暴走は止まることはないだろう。 さて紙面上の“覚書”をよく読んで頂きたい。これは吉羽が安田稔に差し出したものだが『約束手形の無効を証明する物』として、安田から当紙に提示されたものである。 |
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