死人に口無し
安田稔が本紙に差し出した覚書。もしかして犯した悪事の自慢ですか?
 元栃木県議である安田稔は“先生”であった頃の権力と人脈を活かし、現在では栃木県から多くの委託業務を受注し、自身が会長を務めるオリエンタル技術開発は、今や県下屈指の測量会社に成長した。

 しかし、表向きは地元名士といって何ら差し障りのない安田稔だが、この男を知る周辺の見方は、全くといって違う。追及を続ける当紙にしても、まさかこれ程の悪党だったとは……との思いだ。

 懲役に服す程の悪質脱税を犯した安田稔が、当時の側近だった吉羽宏四郎に罪の大半を被せる見返りとして振出したとされる、額面2億円の約束手形(当紙69号)の存在が、そもそも事の発端だった。
 支払い期日未記入のこの約束手形は、地裁及び高裁が下した実刑判決を不服とし、審判を最高裁まで持ち込んだ安田稔が、保釈中の平成3〜5年頃に振出したものである事は判明している。

 丁度その頃、吉羽宏四郎は1年余り行方を晦ませていたが、安田稔が保釈された直後に自ら捜査当局に出頭している。

 しかし、不思議なことに出頭した吉羽の身柄は、その後1年間も拘留される事になったのだ。脱税の主犯とも言うべき安田稔は、多額の保釈金を積んだとはいえ短期間で開放されたにも拘わらず、何故、吉羽の拘留はこうまで長期化したのか?
 多分、捜査当局が掴みきれていない脱税の全容について、吉羽が頑なに供述を拒否したか、又は自ら罪を被るような供述をしたからに違いない。

 これら当時の状況を整理すれば、検察捜査の手が及ぶのを察知した安田稔は、真相を知る吉羽を逃がすことで時間稼ぎをし、自らの逮捕取り調べで状況判断をした上で、吉羽を逃亡先から呼び戻し“言い含めた”後に出頭させたとみて間違いなかろう。
 結果的に逃亡・拘留と、併せて2年間も孤独な戦いを強いた吉羽に対して、先の約束手形の2億円が“報酬”であったと考えるのが妥当である。
 しかも、肉体的及び精神的にも深いダメージを負った吉羽は、この事件の僅か数年後にこの世を去る事となったのだから、命の代償としての2億円という金額は決して高いとは言えないだろう。

 安田稔にとって、吉羽は単なる使い捨ての部下でしかなかったのか?又、吉羽は大金に目が眩んで罪を引き受けただけなのか?
 罪を犯した者とそれを幇助した者との間に何があったのかは、今となっては知る由もないが、生前の吉羽を知る者の話では、決して金のみで動く男ではなかったという話だ。
 自らの人生を犠牲にし、安田稔を助けようとした行為の裏には、やはり信頼する気持ちが多少なりともあったのだと思いたい。

 当然といっては其れまでだが、吉羽を巻き込み犠牲にしたにも関らず、安田稔の懲役は確定した。だからといって、吉羽と交わした約束までもが消滅するものではない。
 吉羽から2年間もの時間を奪い、早死にという悲劇を招いた原因は、全て安田稔にあるといってよい。安田稔には、果たさなければいけない責任があるのだ。
 ところが未だにその責任を果たさないばかりか、逆に2億円を着服された等と根も葉もない風評を流し、非業の死を遂げた吉羽を愚弄するに至っては、正しく“人のなりをした鬼畜”といっても決して過言ではない。

 
 死してムチ打つ
同和や暴力団が見捨てても「僕がいるじゃないか」と
福田昭夫知事

 仮に吉羽が死なずに現在も生存していれば、間違いなく2億円は支払われていただろう。脱税の全容を知る吉羽との約束を一方的に反故にすれば、逆襲の目にあう可能性だってあった筈だ。

 だが、吉羽からの請求に対して「今はまだ目立つから駄目だ」とか、のらりくらりとかわしていたそうだが、若しかすると安田稔は吉羽の死期を既に見切っていたのかも知れない。
 安田稔にとって吉羽の死が好都合であったことは、この鬼畜の、その後の行動を見ればわかる。

 吉羽の死後、遺族が約束手形を安田稔に提示した際には「そんな手形は知らない、無効だ」と有無を言わさず追い返し、当紙の取材に対しては前号で報じた通り、暴力団や同和団体を差し向けて押さえ付けようとした。

 だが、問題となる行動はこればかりではない。取材を進めていくなか、安田稔は無登録の貸し金業、所謂『闇金融』を始めていたことが発覚したのだ。
 勿論、法定利息の数倍で貸し付けを行なっている事は言うまでもないが、その貸し付け残高が2億円にもなるというから驚きだ。
 と言うことは、吉羽の死によって浮いた2億円が、この闇金融の元資に充てられたとも考えられる。
 元々表には出せない金だからと闇金融で回し更に膨らませようとは、人の心を持たない“鬼畜”ならではの悪行である。

 栃木市周辺の裏事情に詳しい人物の話では、安田は「紹介者を飛び越えて話をする」とか「当初の約束を守らない」また「恩義を感じない」等々、その筋からもすこぶる評判が悪く、真っ当な人間なら付き合わないとの話だった。

 言われてみれば、取材当初にしゃしゃり出てきた安田稔のムショ仲間で“自称暴力団関係者”を名乗った男も「俺は関係ない。安田はケチで話にならない」と意味不明の言葉を残し姿を消した。
 其れこそ「安田の裏側を全て引き受け、対応は自分が任されている」と言っていたのに…。所詮は誰も相手にしない安田稔の取り巻きである。

 この男と共に当紙へ接触してきた同和団体会長の老人に至っては「自分は頼まれて同席しただけで、何も知らない。これ以上連絡をとってきたら警察へ電話する」と、数日後“半ベソ”をかきながら連絡をよこしたが、これではまるでストーカー扱いである。
 真面目な常識人には相手にされず、頼りに成らない取り巻きにも逃げられ四面楚歌の安田稔ではあるが、誰よりも頼りになる友達が一人残っている。

 脱税の前科者であれ、闇金融を経営していても尚、県の仕事を与え続ける栃木県知事=福田昭夫先生がいる限り、安田稔の暴走は止まることはないだろう。

 さて紙面上の“覚書”をよく読んで頂きたい。これは吉羽が安田稔に差し出したものだが『約束手形の無効を証明する物』として、安田から当紙に提示されたものである。
 しかし、これには保釈中である安田が自身の裁判を有利に進めようと、法定での証言を銭で買った節が読み取れる。又、吉羽が拘留中での取り調べで、何を隠し通していたのかも理解することが出来る。
 だが何故?安田はこの様な大事な覚書を当紙に渡したのか不思議でならない。考えられることは、この様な不正取引に用いた約束手形は、無効であると言いたかったのだろうか。
 その為だけに自らの悪事を晒すとは、常識人には考えも及ばない行動だ。
 目先の銭にしか興味を示さない、流石は“鬼畜”の為せる技である。
〔つづく〕

 
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